北山耕平、遠藤哲夫、Twitter

まずは北山耕平さん。



先日の続きともいえるTwitter観をブログにアップされています。



Twitter をはじめて2ヵ月ぐらいしか経たないのに、ずいぶん遠くまで行ってきたという感じがする

……

Twitterは140文字という制限があるものの、それさへ守れば自由度はかなり高いし、読み手と書き手の意思疎通の採り方も、これまでよりはるかに敷居が低く、また時間差もほとんどないので、新しい使い方がこれから続々と模索されていくメディアに成長すると思われる。新しいメディアを採り入れるのはなかなかおっくうという人も、少しずつそれを採用していかれると、パソコンだけでなく携帯電話などからのアクセスも自在となり、移動中でもどこからでも声をかわすことができるし、もちろん静けさが必要なときには距離を置くこともできる。

……

なれるまでには当然時間がかかるが、始まりも終わりもない媒体としてのTwitterにぼくは少なからず期待するところ大であります。》




▽ほぼこの1ヵ月の間にぼくがTwitterで公開してきたものなど - Native Heart by Kitayama "Smiling Cloud" Kohei

http://native.way-nifty.com/native_heart/2009/12/1twitter-74f8.html

http://twitter.com/smilingcloud



/////

続いてはエンテツこと遠藤哲夫さん。



《ちかごろ周辺でTwitterをやる人が増えている。ブログをやっていて、Twitterを始めた人は、ブログの更新が途絶えがちになっているケースが少なくない。きっとTwitterに夢中なのだろう。



これ、以前、おれもやってみようかなと思ったことがある。

……

そのとき、結局やらなかったのは、自分で思いついたことを思いついたときに書いているぶんにはよいが、誰かの相手をしなくてはならないとなると、まるでチャットのようなことになり、ますますパソコンに縛り付けられることになりはしないかという躊躇があったからだ。



いまではケータイでTwitterをやる人が多いようだ。ということは、ケータイで、Twitterに、メールに、そして電話、ほかにもインターネットもろもろになるか。パソコンに向かわなくても、メディアに縛られ消費される時間がどれぐらいあるのだろう。ケータイの画面をにらんでいるあいだは、確実に、生のひとや景色とは向き合っていない。そこから何かを感じとったり考えたりはしてない。


……

Twitterは、臨場感というか、高揚感が得られやすい。というか、ノリの悪いひとは、なかなかついていけない。ノリのよいひとが中心になる。

……

この人の言っていること、チョイと違うんじゃないかなあと思ってTwitter見ていても、「それ違うんじゃない」というひとがあらわれないことが、けっこうある。

……

もちろん、おれはTwitterなどのメディアそのものを問題にしたいわけではない。趣味は、生きていく上で大切なものだと思う。そこに、チョイとゆがんだものを感じているということなのだ。大切なものにふさわしい「趣縁」になっているのだろうか。



「違うんじゃないの」「やめよう」「はんたーい」と言えないような雰囲気をもたらす「趣縁」などは、不気味なものを含んでいる。ケータイが「酒・茶・コーヒー・たばこの四大嗜好品と同等の機能を持つ」なら、依存症もありうる。ってことを感じているってことなのだ。》




▽嗜好品化する人間関係? 気色悪くもあるTwitter集団心理。 - ザ大衆食つまみぐい by 遠藤哲夫

http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2009/12/twitter-5323.html



/////

遠藤哲夫さんのこの文章には僕がTwittermixiボイスに抱いている「気色悪さ」がとてもわかりやすく明文化されています。



極端な「嗜好品化」「趣縁/電縁化」というのは、以前取り上げたリレーションズドット誌上での渡辺謙の「耳の痛い話や説教じみている話は、無理矢理に聞かされることもなくなりますよね。つまりは、インターネットでいくらでも情報量を入手できる時代になったとしても、自分が選択した情報だけになってしまう。その結果、自分に都合の悪い情報や意見は見えないし聞こえてこない。それってどうなんだろうか」という話とも共通してくることだと思います。



自分はやっていないのでわかりませんが、北山耕平さんが言うところの「自分とそりが合わない人の声を無理して聞く必要もないので、2チャンネル的な用心深さも余り必要なさそうです。」と遠藤哲夫さん言うところの「『違うんじゃないの』『やめよう』『はんたーい』と言えないような雰囲気をもたらす『趣縁』などは、不気味なものを含んでいる」というのはコインの裏表の関係でしょうね。



大海原でしっかりと舵を取り続ける余裕と強さが自分にあれば良いと思うのですが、今のところ僕はその利便性と二律背反にある気色悪さや消費する/される時間、いわばリスクを背負えないのでやる気はありません。



しかし、「若者にとってのケータイ」が「酒・茶・コーヒー・たばこの四大嗜好品と同等の機能を持つ」のだとするならば、今の時代は『COFFEE&CIGARETTES』ならぬ『Twittermixi』、もしくは『DS&iPhone』ですかね。





つまるところ今のところ自分にとってはウェブログのテンポや距離感が心地よいということです。

基本投げっぱなしのフォーマットですが、自分はいつも誰かを想いながら書いています。



というわけでまた覗きに来てくださいね。気が向いた時、心と時間に余裕のある時、思い付いた時で構いませんから。



/////

★tags - 小さなメディアと大きなメディア その6 - 20091202

http://blog.livedoor.jp/flicker022/archives/51734407.html

★tags - 小さなメディアと大きなメディア その5 - 20091029

http://blog.livedoor.jp/flicker022/archives/51720429.html

★tags - 小さなメディアと大きなメディア その4 - 20090815

http://blog.livedoor.jp/flicker022/archives/51683375.html

★tags - 小さなメディアと大きなメディア その3 - 20090731

http://blog.livedoor.jp/flicker022/archives/51675504.html

★tags - 小さなメディアと大きなメディア その2 - 20090714

http://blog.livedoor.jp/flicker022/archives/51667703.html

★tags - 小さなメディアと大きなメディア - 20090701

http://blog.livedoor.jp/flicker022/archives/51659751.html